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源氏物語の語法と表現

阿久澤 忠 著

本書は、源氏物語に使われている用語や文章に注目してその語法や表現のあり方を論じたものである。第一部は源氏物語に使われた用語を取り上げ、平安時代の他の物語や日記等の仮名文(和文)での用例と比較しつつ、その語の用法を考察した。第二部は源氏物語の人物呼称「君」や「君」の付いた呼称に注目し、この呼称のもつ傾向や特徴を考察したものである。第三部は、この物語の文章表現上、文体上の特徴について論じてある。(序より)

【書評】

評者:秋山 虔 (學燈社刊「國文學」平成6年5月号より)

昭和五十六年に発表された「源氏物語における物語の展開と時間の関係について――常夏の巻について――」(『東洋大学大学院紀要』第十七集)を始めとして、平成五年までに発表された十篇に、新稿二篇を加えて、それぞれ四章より成る三部に編成されている 。

第一部「源氏物語の語法」は、助動詞「めり」の口頭語牲について確認する第一章、源氏においては「めり」に下接語が多いことは、文をさらに続けようとする傾向が他作品より強いことを指摘する第二章、「たそ」は相手に対する積極的な問いただしであり「たれぞ」は控え目の質問であることを明らかにした第三章、「そよや」「そよ」が相手に自分の意思を伝えようとするのに対して「さりや」「さり」は自分自身に納得する用法であるとする第四章より成るが、先行の諸論文の周到な参看、源氏ほかの仮名文作品の用例を網羅する緻密な一覧表の掲出など、「この物語に使われている言葉一つ一つに目を配り、その言葉のいわば素姓といったものを確かめつつ、この物語を丹念に読んでゆきたい」(あとがき)という著者の姿勢には脱帽のほかはない。

第二部「源氏物語の呼称」は、「『君』に関する人物呼称――『君』『――の君』『――君』――」「人物呼称『おとどの君』と『おとど』について」「人物呼称『故君』について」「松風の巻における『故民部大輔の君』」の四章をおさめる。「君」の語が年下の、年齢が比較的若い人物に対して用いられることが多く、しかも親しい人間関係のなかで使われることが多いというのが全用例の調査結果であるが、光源氏、主要人物、非主要人物それぞれの呼称一覧や「君」の全用例(394例)を会話文、心中表現、歌、地の文に分別した一覧表なども有益である。光源氏について晩年まで「君」「源氏の君」「おとどの君」などと呼ばれていることの意味も明らかにされ、「故民部卿大輔の君」と呼ばれた人物のイメージのあざやかに彫りだされている点にもいかにもと感服させられた。

第三部「源氏物語の表現と文体」の第一章「常夏の巻の表現――物語の展開と時間の流れ――」は前記の昭和五十六年発表の論文に加筆したもの。「初音」巻から「行幸」巻までは六条院造営後最初の一年間だが、「常夏」巻のみ何月かを示す言葉がないのはなぜかという問いに始まる。発端の「いと暑き日」を六月末とみるにしても五月末とみるにしても、この巻の内容は物理的時間の範囲を越えているが、しかし一方、他の巻々の間にある空白の時間帯のなかに読み取ることのできる玉鬘をめぐる情況の推移に、この「常夏」巻の内容を据えることによって、物理的時間に対応する、中断することのない時間の流れの展開を捉えようとする。共感しうる卓見である。

以下の「宇治十帖における用語『昔の人』――和歌的表現――」「平安時代の仮名文における用語『山里』――秋・冬への傾斜 ――」「源氏物語における用語『山里』と『山里人』」の三論文は、「昔の人」や「山里」「山里人」などの歌語を平安時代の仮名作品や和歌におけるすべての使用例に目配りして、源氏物語の文体形成にかかわる和歌的表現の機微を追求しようとするが、これらの語がいかに作品のコンテキストのなかで息づいているかを射止めようとする作業は、単なる語彙調査の域を越えて、人物造型、作品形成の方法の独自性に迫るものともなっている。

詳細な索引が本書の価値を一段と高めるものとなっていることをもとくに言い添えておきたい。