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紫清照林 古典才人考

増淵 勝一 著

【主要目次】

【書評】

評者:室伏 信助 (學燈社「國文学」平成8年5月号より)

すでに『平安朝文学成立の研究 散文編』(笠間書院、82年)、『同 韻文編』(国研出版、91年)によって、著者の手堅い実証的研究の成果は学界の広く承認するところ。師匠の岡一男博士の学風を彷彿たらしめるところもまた肝要の一点。「あとがき」に師の言を引き、「本書の各論は作家論とも作品論ともつかぬ性格のものも散見しようが、主眼は作家の伝記や生きざまや個性や感性の闡明にある。それがいつの日か本格的な作品論に結実することを夢見ている」とある。そういえば、前二著はまさに作品の成立を論じ、作家の伝記を究めながら、不思議に行間から立ちあがる世界は、作家という個体を突きぬけ特定の歴史社会に定位する作品それ自体の鮮烈な印象を刻んだことを想い出す。

本書はいうまでもなく、前二著の内容と特色をうけ継いでいる。が、前二著にない新しい特徴も生じている。「古典文学の基礎――序にかえて―― 1 紫式部 ・家系と生い立ち ・対人意識――『紫式部日記』の人名呼称 ・『紫式部日記』の方法 ・容貌描写 ・『源氏物語』の時間と空間 ・『源氏物語』の方法――前斎宮と冷泉帝の場合 2 清少納言 ・対人意識 ・心理分析――物忘れ ・『枕草子』鑑賞 3 土御門御匣殿 4 相模 5 菅原孝標女 6 阿仏尼 7 後深草院二条 8 正親町町子 9 源融 10 増基 11 平定家 12 橘成季」という構成である。

表題にあるように、たしかに「紫清」に論の中心があり、分量的にも大半が投じられているが、これを基として林立する作家・作品群へ開眼していく著者の抱負が語られ、併せて畏敬する今井源衛氏著『紫林照径』にならったという思いも述べられている。  とはいえ、本書はその論述に軽妙な語り口と卑近な話題性をひそませ、一瞬、学術論文の堅苦しさを解き放ちつつ、論理の糸は着実な論証をたどっておのずから確実な結論を紡ぎだす、といった手腕も見せる。『枕草子』の人名(男性)呼称を検討して、清少納言の対人意識に見られる敬意度をもののみごとに言ってのける部分など、作家の意識という次元をこえて、それが表記された言語世界であるかぎり、もはや表現論の範疇なのだと思い返さざるを得ないのである。

しかし、『紫式部日記』の容貌描写をこれまた精細に分析しつつ、そこに男性作家の作品に見られる具象的な描写と対比して、感覚的・曖昧・漠然という評語で律することは、その是非をこえて寧ろ別途の見方を呼びおこす効果をもつ。例の消息体文に見られる多数の美形の形容も、よく見ると或る種の排列の論理を担い、具象性の欠如という次元とは異なる表現性が、この日記の特異な文体と不可分に存することが見えてこよう。

だがこうした反問を時として抱かせるのは、本書がきわめて高い実証性と明快な行文に恵まれているからだろう。それと共に、古典の本文校訂や現代語訳の数々の実績が、単行書や同人誌「並木の里」所載の成果によって示されてきたことも忘れてはなるまい。幅広い教育的実践も加えて、その総合力は今後ますます多角的に発揮されるに違いない。