35 弘徽殿の大后のモデルは誰か
『源氏物語の謎』増淵勝一 著 - 国研ウェブ文庫
弘徽殿の大后は右大臣の長女で、桐壺帝の東宮時代からの女御であり、朱雀院・一品宮・斎院を生みました。後に入内した故大納言の娘である桐壺の更衣が帝寵を独占するに及んで、嫉妬。更衣はいじめ抜かれて早世しましたが、その子である光源氏をも幼少時代から憎みつづけました。ことに妹の朧月夜と源氏の密会発覚の折には、源氏非難の急先鋒となって、源氏の官職位剥奪を画策、源氏の須磨流謫の契機となりました。源氏の支援する東宮(冷泉院)を廃して、八の宮(宇治の八の宮)の擁立を謀って失敗。源氏が帰京し、政権を回復後も、大后はぐちっぽく、わがままで朱雀院を困らせました。『源氏物語』随一の悪役として描かれています。
歴史上、ひどく嫉妬深かった后妃としては、仁徳天皇の皇后の磐之媛(いわのひめ)の命(みこと)が有名です。天皇の寵愛した黒日売(くろひめ)は皇后の嫉妬を恐れて吉備へ船で逃げ帰ろうとしますが、磐之媛は黒日売を船から引きずり下ろさせて徒歩で帰らせました。また皇后が紀州へ出かけている間に天皇が八田皇女(やたのみこ)と結婚したことを知って、怒った皇后は皇居難波高津宮へ帰らず、山城の筒城(つづき)にとどまったこともありました。こうした磐之媛の嫉妬伝説なども紫式部は参考にしたかも。
物語の時代設定とされる村上朝の藤原師輔の二女で、貞観殿の尚侍登子は、晩年の村上天皇から寵愛されました。その姉の中宮安子が、この登子にはげしく嫉妬したことは、『栄花物語』や『大鏡』などにも見えます。その安子は、垂れ目でかわいらしかった従妹の宣耀殿の女御芳子に対してもたいそう嫉妬しています。桐壺の更衣はこの登子と芳子とを合わせたようなイメージもあります。安子は現実に弘徽殿に住んでいました。
なお、漢の高祖の戚夫人(せきふじん)は、高祖との間に趙王如意をもうけ、この如意を恵帝が太子であったころ、これを廃して如意を代りにと図りました。しかし事の成らないうちに高祖が亡くなり恵帝が即位。恵帝の母の呂太后は報復のため、戚夫人の手足を断ち、目や耳をとり、声を断つ薬を飲ませて、最後には厠の中へ投げ入れて、人彘(じんてい)(豚)と人々に呼ばせたうえ、如意も呼びつけて毒殺したということです。呂太后の嫉妬の怖さはきわ立っていますね。
以上のような嫉妬深い内外の后妃たちが、悪后と称される弘徽殿の女御のモデルになっているようです。しかし特定の人物と直結するものではなく、読者にそうではないかと想像させる手法をとっているところが、紫式部らしい創作手法なのです。
『源氏物語の謎』増淵勝一 著 目次
- 『源氏物語』はいつ書かれたか
- 『源氏物語』はどんな物語か
- 『源氏物語』の巻名はだれがつけたものか
- 『源氏物語』の時代設定はいつか
- 光源氏に愛された女性の中で、一番しあわせだったのはだれか
- 『源氏物語』の伝本にはどんなものがあるか
- 『源氏物語』の三大滑稽人物とはだれか?
- 『源氏物語』という書名ははじめから付けられていたものか?
- 『源氏物語』の「もののあはれ」とは何か?
- 紫式部の名の由来は?
- 光源氏はなぜ義母の藤壺を思慕したのか。
- 「桐壺」とは何か
- 「雨夜の品定め」とは何か
- 「帚木」とは何か
- 『源氏物語』の三箇(さんか)の大事(だいじ)とは何か
- 紫式部堕獄(だごく)説とは何か
- 『源氏物語』は古人にどう評価されたか。
- 紫式部はどういう生涯を送ったか
- 登場人物の名づけ親は誰か
- 源氏物語の文章の「すべらかし」調とは?
- 光源氏の「二条院」はどこにあったか
- 源氏物語に描かれた結婚形態とは
- 「紅葉賀(もみじのが)」とは何か
- 源氏物語に近親結婚が多いのはなぜか
- 結婚を拒否する女性
- 光源氏はどんな容貌・容姿であったか
- 源氏物語の遺跡にはどんなものがあるか
- 源氏物語の構成はどうなっているか
- 乳母(めのと)とは何か
- 源氏物語には何首の和歌があるか。
- 「総角」巻の巻名の由来は何か。
- 光源氏はなぜ須磨に籠居したのか。
- 「夢浮橋」の巻名の由来は何か
- 光源氏の経済的基盤はどこにあったか(1)
- 弘徽殿の大后のモデルは誰か
- 桐壺の更衣のモデルは誰か
- 紫式部観音化身説とは?
- 光源氏の経済的基盤はどこにあったか(2)
- 源氏物語』の登場人物は何人ぐらいいるか?
- 『源氏物語』に登場する敵役(かたきやく)
- 主な女君たちの命日
- 平安貴族の住居はどんなものであったか
- 宇治の八の宮は二人の姫君を残してなぜ出家を目指すことができたか
- 源氏物語が長い間読まれつづけているのはなぜか
- 『源氏物語』の最も古い注釈書とは
- 「かがやく日の宮」巻とは何か
- 「澪標」の巻名の由来は?
- 『源氏物語』に描かれた病気
- 紫式部の教養
- 古注の集大成―『河海抄』
- 世界文学史上の『源氏物語』
- 紫式部の学問観
- 光源氏薨後の夫人たちの生活は?
- 物怪(もののけ)とは何か
- 「宿木(やどりぎ)」とは?
- 女君たちの魅力は?
- 六条院とはどんな邸宅であったか
- 女三の宮と柏木との関係を知った光源氏はどう対処したか?
- 紫式部の住居はどこにあったか?
- 作り物語の『源氏物語』に実在の人物が登場するのはなぜか?
- 紫式部と藤原道長の関係について
- 源氏物語に及ぼした伊勢物語の影響
- 「鈴虫」の巻名の由来は?
- 「侍従」という女房の役割は何か
- 光源氏が一番美人だと認めていた女君は誰か
- 紫式部の墓はどこにあるか
- 「雲隠」の巻は原作にあったのか
- 男君たちの魅力は
- 源氏物語に見える音楽
- 年立ての矛盾
- 各巻のあらすじ(1)桐壺・帚木
- 女君を選ぶとしたら?
- 各巻のあらすじ(2)空蝉・夕顔
- 『源氏物語』の続編(1)―『山路の露』―
- 各巻のあらすじ(3)若紫・末摘花
- 『源氏物語奥入(おくいり)』とは
- 源氏香とは何か
- 平安時代の風呂はどんなものであったか
- 牛車(ぎっしゃ)とは何か
- 貴族の日常生活はどういうものであったか
- 源氏物語にはなぜ大災害が描かれていないのか
- 源氏物語にあらわれた宿世観
- 源氏物語に登場する僧侶
- 『源氏物語』の主役の条件
ご意見・ご感想をお寄せください
ご意見・ご感想フォームよりお気軽にお送りください。