36 桐壺の更衣のモデルは誰か

『源氏物語の謎』増淵勝一 著 - 国研ウェブ文庫

前稿35に弘徽殿の大后のモデルについて述べましたが、そのモデルとされる村上天皇の中宮安子にはげしく嫉妬をされた実妹の貞観殿尚侍登子や、安子の従妹にあたる宣耀殿女御などが、更衣のモデルであったかも知れません。もっとも登子には子どもはなく、また芳子には二人の皇子(六・八の宮)がおりましたので、登子と芳子とを合わせると、桐壺の更衣のモデルになるようにも考えられます。

なお、呂太后にいじめ抜かれて殺された戚夫人などの生涯も参考になったことでしょう。もっとも戚夫人への報復は高祖の死後のことです。呂太后は弘徽殿大后のモデルにはなったでしょうが、その嫉妬の対象は、更衣というよりむしろ桐壺院崩御後に、東宮(冷泉院)を擁立する藤壺中宮や光源氏に向けられている物語に反映しているとも言えます。

『続日本後記』承和六年(839)六月三十日条には、「女御藤原朝臣沢子卒。(中略)寵愛之隆(さか)ンナルコト独リ後宮ニ冠タリ。俄(にはか)ニ病ミテ困篤(こんとく)ス。之(これ)ヲ小車ニ載セ禁中ヨリ出(い)ダス。纔(わづか)ニ里第ニ至リ便(すなは)チ絶ユ。天皇之ヲ聞キテ哀悼シタマフ。中ノ使ヲ遣ハシテ従三位ヲ贈ルナリ」と見えます。この仁明天皇女御沢子の薨去の記事は、桐壺の更衣のそれとよく似ています。この沢子は北家藤原氏の支流の、従五位下紀伊守総継(贈太政大臣)の娘でした。桐壺の更衣は故按察大納言の娘でしたが、それよりもずっと低い身分の出身です。

沢子は仁明天皇の寵愛を受け、三皇子・一皇女(宗康・時康・人康・新子)を生みました。そのうちの仁明帝第三皇子の時康親王が元慶八年(884)に即位した五十八代光孝天皇です。母の沢子は贈皇太后となり、外祖父総継は贈太政大臣とされました。何やら光源氏が実子の冷泉院の即位によって、遂には六条院の院号を授けられたのと通ずるところがありますね。

作成日:2013年9月19日

『源氏物語の謎』増淵勝一 著 目次

  1. 『源氏物語』はいつ書かれたか
  2. 『源氏物語』はどんな物語か
  3. 『源氏物語』の巻名はだれがつけたものか
  4. 『源氏物語』の時代設定はいつか
  5. 光源氏に愛された女性の中で、一番しあわせだったのはだれか
  6. 『源氏物語』の伝本にはどんなものがあるか
  7. 『源氏物語』の三大滑稽人物とはだれか?
  8. 『源氏物語』という書名ははじめから付けられていたものか?
  9. 『源氏物語』の「もののあはれ」とは何か?
  10. 紫式部の名の由来は?
  11. 光源氏はなぜ義母の藤壺を思慕したのか。
  12. 「桐壺」とは何か
  13. 「雨夜の品定め」とは何か
  14. 「帚木」とは何か
  15. 『源氏物語』の三箇(さんか)の大事(だいじ)とは何か
  16. 紫式部堕獄(だごく)説とは何か
  17. 『源氏物語』は古人にどう評価されたか。
  18. 紫式部はどういう生涯を送ったか
  19. 登場人物の名づけ親は誰か
  20. 源氏物語の文章の「すべらかし」調とは?
  21. 光源氏の「二条院」はどこにあったか
  22. 源氏物語に描かれた結婚形態とは
  23. 「紅葉賀(もみじのが)」とは何か
  24. 源氏物語に近親結婚が多いのはなぜか
  25. 結婚を拒否する女性
  26. 光源氏はどんな容貌・容姿であったか
  27. 源氏物語の遺跡にはどんなものがあるか
  28. 源氏物語の構成はどうなっているか
  29. 乳母(めのと)とは何か
  30. 源氏物語には何首の和歌があるか。
  31. 「総角」巻の巻名の由来は何か。
  32. 光源氏はなぜ須磨に籠居したのか。
  33. 「夢浮橋」の巻名の由来は何か
  34. 光源氏の経済的基盤はどこにあったか(1)
  35. 弘徽殿の大后のモデルは誰か
  36. 桐壺の更衣のモデルは誰か
  37. 紫式部観音化身説とは?
  38. 光源氏の経済的基盤はどこにあったか(2)
  39. 源氏物語』の登場人物は何人ぐらいいるか?
  40. 『源氏物語』に登場する敵役(かたきやく)
  41. 主な女君たちの命日
  42. 平安貴族の住居はどんなものであったか
  43. 宇治の八の宮は二人の姫君を残してなぜ出家を目指すことができたか
  44. 源氏物語が長い間読まれつづけているのはなぜか
  45. 『源氏物語』の最も古い注釈書とは
  46. 「かがやく日の宮」巻とは何か
  47. 「澪標」の巻名の由来は?
  48. 『源氏物語』に描かれた病気
  49. 紫式部の教養
  50. 古注の集大成―『河海抄』
  51. 世界文学史上の『源氏物語』
  52. 紫式部の学問観
  53. 光源氏薨後の夫人たちの生活は?
  54. 物怪(もののけ)とは何か
  55. 「宿木(やどりぎ)」とは?
  56. 女君たちの魅力は?
  57. 六条院とはどんな邸宅であったか
  58. 女三の宮と柏木との関係を知った光源氏はどう対処したか?
  59. 紫式部の住居はどこにあったか?
  60. 作り物語の『源氏物語』に実在の人物が登場するのはなぜか?
  61. 紫式部と藤原道長の関係について
  62. 源氏物語に及ぼした伊勢物語の影響
  63. 「鈴虫」の巻名の由来は?
  64. 「侍従」という女房の役割は何か
  65. 光源氏が一番美人だと認めていた女君は誰か
  66. 紫式部の墓はどこにあるか
  67. 「雲隠」の巻は原作にあったのか
  68. 男君たちの魅力は
  69. 源氏物語に見える音楽
  70. 年立ての矛盾
  71. 各巻のあらすじ(1)桐壺・帚木
  72. 女君を選ぶとしたら?
  73. 各巻のあらすじ(2)空蝉・夕顔
  74. 『源氏物語』の続編(1)―『山路の露』―
  75. 各巻のあらすじ(3)若紫・末摘花
  76. 『源氏物語奥入(おくいり)』とは
  77. 源氏香とは何か
  78. 平安時代の風呂はどんなものであったか
  79. 牛車(ぎっしゃ)とは何か
  80. 貴族の日常生活はどういうものであったか
  81. 源氏物語にはなぜ大災害が描かれていないのか
  82. 源氏物語にあらわれた宿世観
  83. 源氏物語に登場する僧侶
  84. 『源氏物語』の主役の条件

ご意見・ご感想をお寄せください

ご意見・ご感想フォームよりお気軽にお送りください。