84 『源氏物語』の主役の条件
『源氏物語の謎』増淵勝一 著 - 国研ウェブ文庫
『源氏物語』のドラマ性を支えている登場人物は、圧倒的に「親に先立たれた子」どもであります。光源氏や紫の上はむろんですが、源氏の恋人の藤壺・女三の宮・六条御息所・空蝉・軒端荻・夕顔・末摘花らは登場したときから「(両親または片親に)先立たれた子」であり、花散里も記述はないが、たぶん両親はすでにいなかったのでしょう。そのほか冷泉院・秋好中宮・玉鬘・夕霧・落葉の宮・宇治の大君・中君らも母親に先立たれています。また桐壺の更衣や秋好中宮の父親は早世しています。なお雲井の雁や真木柱・浮舟らは両親の離婚の憂き目に会っており、薫の場合は父に先立たれ、母の女三の宮の出家にも遭遇するという悲劇を背負っています。
まともに両親が揃っているのは、朱雀院・今上帝・春宮・冷泉院女御(弘徽殿)・葵の上・頭の中将・柏木・明石の御方・明石の姫君(ただし紫の上の養女)・匂宮らということになりましょう。それは主として左大臣および朱雀院の血筋を主に引く人々と、明石入道の血筋に連なる人々です。前者は生まれながらにして「やんごとな」い階級に生まれた人々であり、その生涯はまず平穏であり、安定しています。後者の入道の場合は、受領階級から后妃を出すというドラマチックな筋立てからしても、きわめて特異なケースです。
実は『竹取物語』のかぐや姫は、竹取の翁夫妻が月から授かった養女でありましたし、『伊勢物語』の昔男も父に先立たれた、母宮の「ひとつ子」という境遇にあります。『うつほ物語』の俊蔭の娘も両親はおりません。『落窪物語』の落窪姫は母親に先立たれております。
物語の主役たちは、厳しい家庭環境にあって、話題性・冒険性・特異性にとんでいなければならないのです。貴族社会のまともな、ありふれた生活を描いてみたところで、読者の興味をひくことはできないのです。
「親に先立たれた子」どもたちの命運はいかに? 彼らに心引かれるヒーローやヒロインたちも同じく「親に先立たれた子」どもたちです。人生の試練をどのように乗り切れるのか。とりわけ姫君たちは嫁ぐ相手次第でしあわせにも不幸にもなるのです。そこから物語の話題性・冒険性・特異性が生じて、読者の興味を引きつけ、想像力を駆り立て、物語を読み込ませるのですね。
これは、たとえば児童文学やアニメーションの世界での主人公が薄幸な境遇に置かれていることが少なくないのと、同じ理由なのです。主役の条件の一つは、「親に先立たれた子」どもであるということになります。
『源氏物語の謎』増淵勝一 著 目次
- 『源氏物語』はいつ書かれたか
- 『源氏物語』はどんな物語か
- 『源氏物語』の巻名はだれがつけたものか
- 『源氏物語』の時代設定はいつか
- 光源氏に愛された女性の中で、一番しあわせだったのはだれか
- 『源氏物語』の伝本にはどんなものがあるか
- 『源氏物語』の三大滑稽人物とはだれか?
- 『源氏物語』という書名ははじめから付けられていたものか?
- 『源氏物語』の「もののあはれ」とは何か?
- 紫式部の名の由来は?
- 光源氏はなぜ義母の藤壺を思慕したのか。
- 「桐壺」とは何か
- 「雨夜の品定め」とは何か
- 「帚木」とは何か
- 『源氏物語』の三箇(さんか)の大事(だいじ)とは何か
- 紫式部堕獄(だごく)説とは何か
- 『源氏物語』は古人にどう評価されたか。
- 紫式部はどういう生涯を送ったか
- 登場人物の名づけ親は誰か
- 源氏物語の文章の「すべらかし」調とは?
- 光源氏の「二条院」はどこにあったか
- 源氏物語に描かれた結婚形態とは
- 「紅葉賀(もみじのが)」とは何か
- 源氏物語に近親結婚が多いのはなぜか
- 結婚を拒否する女性
- 光源氏はどんな容貌・容姿であったか
- 源氏物語の遺跡にはどんなものがあるか
- 源氏物語の構成はどうなっているか
- 乳母(めのと)とは何か
- 源氏物語には何首の和歌があるか。
- 「総角」巻の巻名の由来は何か。
- 光源氏はなぜ須磨に籠居したのか。
- 「夢浮橋」の巻名の由来は何か
- 光源氏の経済的基盤はどこにあったか(1)
- 弘徽殿の大后のモデルは誰か
- 桐壺の更衣のモデルは誰か
- 紫式部観音化身説とは?
- 光源氏の経済的基盤はどこにあったか(2)
- 源氏物語』の登場人物は何人ぐらいいるか?
- 『源氏物語』に登場する敵役(かたきやく)
- 主な女君たちの命日
- 平安貴族の住居はどんなものであったか
- 宇治の八の宮は二人の姫君を残してなぜ出家を目指すことができたか
- 源氏物語が長い間読まれつづけているのはなぜか
- 『源氏物語』の最も古い注釈書とは
- 「かがやく日の宮」巻とは何か
- 「澪標」の巻名の由来は?
- 『源氏物語』に描かれた病気
- 紫式部の教養
- 古注の集大成―『河海抄』
- 世界文学史上の『源氏物語』
- 紫式部の学問観
- 光源氏薨後の夫人たちの生活は?
- 物怪(もののけ)とは何か
- 「宿木(やどりぎ)」とは?
- 女君たちの魅力は?
- 六条院とはどんな邸宅であったか
- 女三の宮と柏木との関係を知った光源氏はどう対処したか?
- 紫式部の住居はどこにあったか?
- 作り物語の『源氏物語』に実在の人物が登場するのはなぜか?
- 紫式部と藤原道長の関係について
- 源氏物語に及ぼした伊勢物語の影響
- 「鈴虫」の巻名の由来は?
- 「侍従」という女房の役割は何か
- 光源氏が一番美人だと認めていた女君は誰か
- 紫式部の墓はどこにあるか
- 「雲隠」の巻は原作にあったのか
- 男君たちの魅力は
- 源氏物語に見える音楽
- 年立ての矛盾
- 各巻のあらすじ(1)桐壺・帚木
- 女君を選ぶとしたら?
- 各巻のあらすじ(2)空蝉・夕顔
- 『源氏物語』の続編(1)―『山路の露』―
- 各巻のあらすじ(3)若紫・末摘花
- 『源氏物語奥入(おくいり)』とは
- 源氏香とは何か
- 平安時代の風呂はどんなものであったか
- 牛車(ぎっしゃ)とは何か
- 貴族の日常生活はどういうものであったか
- 源氏物語にはなぜ大災害が描かれていないのか
- 源氏物語にあらわれた宿世観
- 源氏物語に登場する僧侶
- 『源氏物語』の主役の条件
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