78 平安時代の風呂はどんなものであったか
『源氏物語の謎』増淵勝一 著 - 国研ウェブ文庫
このテーマは私が四十代の末に、市民向けの源氏物語講座をはじめて担当した時に、最初に受けた質問です。源氏物語講座なのに、質問が風呂とは?と、あわてましたが、「帚木」巻で空蝉が侍女の中将の君を呼ぶと、別の女房が「下(しも)に湯におりて、『ただ今参らむ』と侍る」という条で、当時の湯(風呂)とは?、という質問が出たわけです。
厳密にいうと「風呂」と「湯」とは異なります。「風呂」は「風炉」で、風を通して火力によって水を沸かす形式のもので、平安時代末から近世初期にかけては、戸棚式の蒸風呂であったと言われます。その後は湯を十分に沸かす形式のものとなり、弥次さん、北さんは鉄製の風呂に素足で入って、大騒ぎになったという『膝栗毛』の話もあります。
一方、光源氏の時代は「湯」、つまり湯浴(ゆあ)み、行水式のものでした。浴槽に別に沸かした湯を入れ、水で調節して身体を洗うわけです。当時の天皇の浴槽は、長さ五尺二寸(約一・五六m)、幅二尺一寸(約六三cm)、深さ一尺七寸(約五一cm)、その板の厚さは二寸(約六cm)と決まっていました(『延喜式』巻三十四)。
案外小さな浴槽ですね。たぶん後世のように、この湯船に天皇自身が入ることはなかったのではないかと思います。そこから汲み出した湯で身体をきれいにしたのでしょう。もちろん湯殿担当の女房たちが奉仕したはずです。
『土佐日記』には、船で上京の途中、女性たちが海辺で水浴みをしたという記事があります。また『紫式部日記』には後一条天皇が誕生したとき、寝殿の東廂に湯殿を設けて、産湯(うぶゆ)の儀式をしたことが記されています。
前述の「帚木」巻の空蝉が滞在している邸は前妻の子の紀伊守の新築の邸です。しかし湯浴みをしている所は「下(しも)」とありますので、湯殿はいわゆる寝殿造りの主な建物に付属して設けた「下の屋」(ふつうは敷地内の西北隅などに所在)にあったことがわかります。
なお、天皇の湯浴みする所は、清涼殿と後涼殿との間の朝餉の壺の北側の「御湯殿」です。清涼殿内にも、東北隅の御手水の間の北隣に「御湯殿の間」がありますが、これはお茶(お湯)を用意する所です。
『九条右丞相遺誡』によると、当時は五日に一回湯浴みをすることになっていたようです。毎月一日に湯浴みをすると短命になるとか、八日なら長命になるとか、亥の日は恥をかくとか、いろいろと日によって制約があったようです。女性の洗髪などは年に数回とされており、薫香類が尊重されたのもうなずけます。
『源氏物語の謎』増淵勝一 著 目次
- 『源氏物語』はいつ書かれたか
- 『源氏物語』はどんな物語か
- 『源氏物語』の巻名はだれがつけたものか
- 『源氏物語』の時代設定はいつか
- 光源氏に愛された女性の中で、一番しあわせだったのはだれか
- 『源氏物語』の伝本にはどんなものがあるか
- 『源氏物語』の三大滑稽人物とはだれか?
- 『源氏物語』という書名ははじめから付けられていたものか?
- 『源氏物語』の「もののあはれ」とは何か?
- 紫式部の名の由来は?
- 光源氏はなぜ義母の藤壺を思慕したのか。
- 「桐壺」とは何か
- 「雨夜の品定め」とは何か
- 「帚木」とは何か
- 『源氏物語』の三箇(さんか)の大事(だいじ)とは何か
- 紫式部堕獄(だごく)説とは何か
- 『源氏物語』は古人にどう評価されたか。
- 紫式部はどういう生涯を送ったか
- 登場人物の名づけ親は誰か
- 源氏物語の文章の「すべらかし」調とは?
- 光源氏の「二条院」はどこにあったか
- 源氏物語に描かれた結婚形態とは
- 「紅葉賀(もみじのが)」とは何か
- 源氏物語に近親結婚が多いのはなぜか
- 結婚を拒否する女性
- 光源氏はどんな容貌・容姿であったか
- 源氏物語の遺跡にはどんなものがあるか
- 源氏物語の構成はどうなっているか
- 乳母(めのと)とは何か
- 源氏物語には何首の和歌があるか。
- 「総角」巻の巻名の由来は何か。
- 光源氏はなぜ須磨に籠居したのか。
- 「夢浮橋」の巻名の由来は何か
- 光源氏の経済的基盤はどこにあったか(1)
- 弘徽殿の大后のモデルは誰か
- 桐壺の更衣のモデルは誰か
- 紫式部観音化身説とは?
- 光源氏の経済的基盤はどこにあったか(2)
- 源氏物語』の登場人物は何人ぐらいいるか?
- 『源氏物語』に登場する敵役(かたきやく)
- 主な女君たちの命日
- 平安貴族の住居はどんなものであったか
- 宇治の八の宮は二人の姫君を残してなぜ出家を目指すことができたか
- 源氏物語が長い間読まれつづけているのはなぜか
- 『源氏物語』の最も古い注釈書とは
- 「かがやく日の宮」巻とは何か
- 「澪標」の巻名の由来は?
- 『源氏物語』に描かれた病気
- 紫式部の教養
- 古注の集大成―『河海抄』
- 世界文学史上の『源氏物語』
- 紫式部の学問観
- 光源氏薨後の夫人たちの生活は?
- 物怪(もののけ)とは何か
- 「宿木(やどりぎ)」とは?
- 女君たちの魅力は?
- 六条院とはどんな邸宅であったか
- 女三の宮と柏木との関係を知った光源氏はどう対処したか?
- 紫式部の住居はどこにあったか?
- 作り物語の『源氏物語』に実在の人物が登場するのはなぜか?
- 紫式部と藤原道長の関係について
- 源氏物語に及ぼした伊勢物語の影響
- 「鈴虫」の巻名の由来は?
- 「侍従」という女房の役割は何か
- 光源氏が一番美人だと認めていた女君は誰か
- 紫式部の墓はどこにあるか
- 「雲隠」の巻は原作にあったのか
- 男君たちの魅力は
- 源氏物語に見える音楽
- 年立ての矛盾
- 各巻のあらすじ(1)桐壺・帚木
- 女君を選ぶとしたら?
- 各巻のあらすじ(2)空蝉・夕顔
- 『源氏物語』の続編(1)―『山路の露』―
- 各巻のあらすじ(3)若紫・末摘花
- 『源氏物語奥入(おくいり)』とは
- 源氏香とは何か
- 平安時代の風呂はどんなものであったか
- 牛車(ぎっしゃ)とは何か
- 貴族の日常生活はどういうものであったか
- 源氏物語にはなぜ大災害が描かれていないのか
- 源氏物語にあらわれた宿世観
- 源氏物語に登場する僧侶
- 『源氏物語』の主役の条件
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