69 源氏物語に見える音楽
『源氏物語の謎』増淵勝一 著 - 国研ウェブ文庫
源氏物語の時代、つまり平安朝の貴族社会においては、音楽は和歌と並んで、高度の教養の一つでした。宮廷はもとより貴族の家々では、会議や行事などには必ず管絃の遊び(音楽の集い)が催され、うたが口ずさまれ、舞いが舞われることも少なくありませんでした。
音楽が重視されたのは、孔子らが説いたと言われるように、音楽は人と人とを和合させるものであり、君臣相和する円満な世界を作り出す力があると信じられていたからです。会議や勝負事などで対立することがあっても、そのあと管絃の遊びを催せば、意見の対立もモヤモヤも解消して、良好な人間関係が築かれるというわけです。
楽器には絃楽器(ひきもの)として、琴(きん)(七絃)・箏(そう)(十三絃)・琵琶(びわ)(四絃)・和琴(わごん)(六絃)などがあります。また管楽器(吹きもの)として、篳篥(ひちりき)(約二十センチの竹管。表に七孔・背に二孔あり)・高麗笛(こまぶえ)(三韓伝来の楽器。横笛よりも細く短い。六孔)・横笛(よこぶえ)(中国伝来。七孔・長さは一尺三寸)・尺八(唐の律尺で一尺八寸=現尺一尺四寸五分余り。表に四孔・背に一孔。竹製の縦笛)・笙(しょう)(中国伝来。縦に十七管を束ね、下の吹口から吹く)があり、打楽器(打ちもの)には、羯鼓(かっこ)(台に据えて二本のばちで両面を打つ)・鉦鼓(しょうこ)(青銅製。皿〈さら〉形で、つるして撞木〈しゅもく〉でたたく)・太鼓(たいこ)(木製。大太鼓は直径六尺三寸ほど。二人が荷ってたたく荷太鼓は直径二尺七寸ほど。釣〈つり〉太鼓は直径一尺八寸)・拍子(ひょうし)(長い木板二枚を用い、笏〈しゃく〉を割った形に見えるので、笏拍子ともいう。日本特有の楽器)などがあります。
これらのうち、打楽器や管楽器はふつうは地下(じげ)の専門の楽人が担当し、庭上や築山のうしろなどで演奏します。屋内では殿上人・公卿・女房らが絃楽器を受け持ちます。紫式部は専門の師匠の才芸はそれとして、「家の子(良家の子弟)の中には、なほ人に抜けぬる人」がいると述べています(絵合・若菜下)。柏木の和琴・蛍兵部卿の宮の琵琶などのすぐれていることが強調され(若菜下)、また明石の御方は箏にすぐれていましたが(明石)、これは家の伝統を受けついだ結果によると説いています。柏木の横笛がのちに薫に伝わり、その吹き方が内大臣家の流儀であるのを、宇治の八の宮に不審がられた場面もありました(椎本)。なお、光源氏はどの楽器にもすぐれていましたが、特に琴(きん)の名手とされているようです。
邦楽(雅楽)の旋法には、呂旋と律旋とがありますが、宮中での公式の演奏(中国伝来の正楽)は呂旋であり、また日本古来の俗楽由来のものが律旋で、これは沖縄の民謡に近いものとも言われています。よく「ろれつが回らない」などと言いますが、この音楽の呂・律に由来するものです。
この律旋・呂旋により作曲する場合、壱越調(いちこつちょう)・平調(ひょうじょう)・双調(そうじょう)・黄鐘調(おうじきちょう)・盤渉調(ばんじきちょう)・太食調(たいじきちょう)などの調子ができます。これらの調子は、「時の音」と称し、四季に配して演奏され、春は双調、夏は黄鐘調、秋は平調、冬は盤渉調と原則的に決められており、壱越調・太食調は随時に演奏されるものとなっていました。
当時の貴族にとって音楽の才能がないことは立身出世にもひびく致命的なことにもなりかねません。しかしそういう人たちには、お経を美声でよみ上げる「読経あらそひ」という遊びのあったことが『紫式部日記』の中に見えています。
『源氏物語の謎』増淵勝一 著 目次
- 『源氏物語』はいつ書かれたか
- 『源氏物語』はどんな物語か
- 『源氏物語』の巻名はだれがつけたものか
- 『源氏物語』の時代設定はいつか
- 光源氏に愛された女性の中で、一番しあわせだったのはだれか
- 『源氏物語』の伝本にはどんなものがあるか
- 『源氏物語』の三大滑稽人物とはだれか?
- 『源氏物語』という書名ははじめから付けられていたものか?
- 『源氏物語』の「もののあはれ」とは何か?
- 紫式部の名の由来は?
- 光源氏はなぜ義母の藤壺を思慕したのか。
- 「桐壺」とは何か
- 「雨夜の品定め」とは何か
- 「帚木」とは何か
- 『源氏物語』の三箇(さんか)の大事(だいじ)とは何か
- 紫式部堕獄(だごく)説とは何か
- 『源氏物語』は古人にどう評価されたか。
- 紫式部はどういう生涯を送ったか
- 登場人物の名づけ親は誰か
- 源氏物語の文章の「すべらかし」調とは?
- 光源氏の「二条院」はどこにあったか
- 源氏物語に描かれた結婚形態とは
- 「紅葉賀(もみじのが)」とは何か
- 源氏物語に近親結婚が多いのはなぜか
- 結婚を拒否する女性
- 光源氏はどんな容貌・容姿であったか
- 源氏物語の遺跡にはどんなものがあるか
- 源氏物語の構成はどうなっているか
- 乳母(めのと)とは何か
- 源氏物語には何首の和歌があるか。
- 「総角」巻の巻名の由来は何か。
- 光源氏はなぜ須磨に籠居したのか。
- 「夢浮橋」の巻名の由来は何か
- 光源氏の経済的基盤はどこにあったか(1)
- 弘徽殿の大后のモデルは誰か
- 桐壺の更衣のモデルは誰か
- 紫式部観音化身説とは?
- 光源氏の経済的基盤はどこにあったか(2)
- 源氏物語』の登場人物は何人ぐらいいるか?
- 『源氏物語』に登場する敵役(かたきやく)
- 主な女君たちの命日
- 平安貴族の住居はどんなものであったか
- 宇治の八の宮は二人の姫君を残してなぜ出家を目指すことができたか
- 源氏物語が長い間読まれつづけているのはなぜか
- 『源氏物語』の最も古い注釈書とは
- 「かがやく日の宮」巻とは何か
- 「澪標」の巻名の由来は?
- 『源氏物語』に描かれた病気
- 紫式部の教養
- 古注の集大成―『河海抄』
- 世界文学史上の『源氏物語』
- 紫式部の学問観
- 光源氏薨後の夫人たちの生活は?
- 物怪(もののけ)とは何か
- 「宿木(やどりぎ)」とは?
- 女君たちの魅力は?
- 六条院とはどんな邸宅であったか
- 女三の宮と柏木との関係を知った光源氏はどう対処したか?
- 紫式部の住居はどこにあったか?
- 作り物語の『源氏物語』に実在の人物が登場するのはなぜか?
- 紫式部と藤原道長の関係について
- 源氏物語に及ぼした伊勢物語の影響
- 「鈴虫」の巻名の由来は?
- 「侍従」という女房の役割は何か
- 光源氏が一番美人だと認めていた女君は誰か
- 紫式部の墓はどこにあるか
- 「雲隠」の巻は原作にあったのか
- 男君たちの魅力は
- 源氏物語に見える音楽
- 年立ての矛盾
- 各巻のあらすじ(1)桐壺・帚木
- 女君を選ぶとしたら?
- 各巻のあらすじ(2)空蝉・夕顔
- 『源氏物語』の続編(1)―『山路の露』―
- 各巻のあらすじ(3)若紫・末摘花
- 『源氏物語奥入(おくいり)』とは
- 源氏香とは何か
- 平安時代の風呂はどんなものであったか
- 牛車(ぎっしゃ)とは何か
- 貴族の日常生活はどういうものであったか
- 源氏物語にはなぜ大災害が描かれていないのか
- 源氏物語にあらわれた宿世観
- 源氏物語に登場する僧侶
- 『源氏物語』の主役の条件
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