82 源氏物語にあらわれた宿世観
『源氏物語の謎』増淵勝一 著 - 国研ウェブ文庫
「宿世(すくせ)」とは、過去の世を意味し、転じて宿世の因縁の意に用います。つまりこの世の事実はすでに生まれる前において運命づけられているものだとする思想です。過去の因は現在の果となり、それはまた当然未来にも及ぶものと考えられたわけです。
『源氏物語』には、全編にわたって、この「宿世」の語が六八回、「御宿世」が四六回、それに「宿世宿世」他が七回、合計一一九回も使用されています。(『源氏物語大成』索引篇による)。
女が男を恨んで姿を隠したものの、「宿世浅からで、尼にもなさで、(男が女を)尋ね取りたらむも」(帚木)とあるのは、トラブルがあっても、男女が別れずにすんだのは、前世からそう定められていたからだと言うのです。
夕顔の四十九日の法事を比叡山の法華堂で源氏が誰の法事とも明かさずに催したところ、僧侶たちは、「かう思(おぼ)し嘆かすばかりなりけむ宿世の高さ」と言ったとあります(夕顔)。源氏をこれほどまでに嘆かせるのも、前世の因縁がとりわけ高かったのであろう、つまりこの故人(=夕顔)と源氏とのこうなるはずの前世からの因縁が、とりわけ深かったのであろうと、僧侶たちは言っているのです。
「若紫」巻の明石入道の噂が話題になっているところで、「『その心ざし遂げず、この思ひ置きつる宿世違はば、海に入りね』と常に(娘に)遺言し置きて侍るなる」とあるのは、入道が娘に自分のかねて思い定めた運命のとおりにならなかったら、海に投身せよと言っているのです。そう入道が考えたのも、これすべて前世からこうなるべく定められていたからなのです。
これらの例を通してわかることは、この世における事実が痛切で、人間の考えではとうてい理解できないような場合には、そのもとは前世によってもう決まっていたという宿世観で乗り切ることになります。強引に男が女と契りを結んだような場合、「これも宿世なめり」ということになって、男は自分の行為を宿世だといって女を説得し、逆に女もこうなったのは前世から定められていた宿世なのだと、あきらめるのです。
したがって「宿世観」によれば困難な状況も、人知の及ばぬ前世の因縁によるものだとして、そう深刻にはならぬという長所があります。一方、困難な問題・状況を真剣に考えることもなく、無反省になるという短所もあるということになります。王朝貴族の決断力のなさや無分別な行動をとる向きもあるのは、こういう宿世観が信じられていたからなのです。
『源氏物語の謎』増淵勝一 著 目次
- 『源氏物語』はいつ書かれたか
- 『源氏物語』はどんな物語か
- 『源氏物語』の巻名はだれがつけたものか
- 『源氏物語』の時代設定はいつか
- 光源氏に愛された女性の中で、一番しあわせだったのはだれか
- 『源氏物語』の伝本にはどんなものがあるか
- 『源氏物語』の三大滑稽人物とはだれか?
- 『源氏物語』という書名ははじめから付けられていたものか?
- 『源氏物語』の「もののあはれ」とは何か?
- 紫式部の名の由来は?
- 光源氏はなぜ義母の藤壺を思慕したのか。
- 「桐壺」とは何か
- 「雨夜の品定め」とは何か
- 「帚木」とは何か
- 『源氏物語』の三箇(さんか)の大事(だいじ)とは何か
- 紫式部堕獄(だごく)説とは何か
- 『源氏物語』は古人にどう評価されたか。
- 紫式部はどういう生涯を送ったか
- 登場人物の名づけ親は誰か
- 源氏物語の文章の「すべらかし」調とは?
- 光源氏の「二条院」はどこにあったか
- 源氏物語に描かれた結婚形態とは
- 「紅葉賀(もみじのが)」とは何か
- 源氏物語に近親結婚が多いのはなぜか
- 結婚を拒否する女性
- 光源氏はどんな容貌・容姿であったか
- 源氏物語の遺跡にはどんなものがあるか
- 源氏物語の構成はどうなっているか
- 乳母(めのと)とは何か
- 源氏物語には何首の和歌があるか。
- 「総角」巻の巻名の由来は何か。
- 光源氏はなぜ須磨に籠居したのか。
- 「夢浮橋」の巻名の由来は何か
- 光源氏の経済的基盤はどこにあったか(1)
- 弘徽殿の大后のモデルは誰か
- 桐壺の更衣のモデルは誰か
- 紫式部観音化身説とは?
- 光源氏の経済的基盤はどこにあったか(2)
- 源氏物語』の登場人物は何人ぐらいいるか?
- 『源氏物語』に登場する敵役(かたきやく)
- 主な女君たちの命日
- 平安貴族の住居はどんなものであったか
- 宇治の八の宮は二人の姫君を残してなぜ出家を目指すことができたか
- 源氏物語が長い間読まれつづけているのはなぜか
- 『源氏物語』の最も古い注釈書とは
- 「かがやく日の宮」巻とは何か
- 「澪標」の巻名の由来は?
- 『源氏物語』に描かれた病気
- 紫式部の教養
- 古注の集大成―『河海抄』
- 世界文学史上の『源氏物語』
- 紫式部の学問観
- 光源氏薨後の夫人たちの生活は?
- 物怪(もののけ)とは何か
- 「宿木(やどりぎ)」とは?
- 女君たちの魅力は?
- 六条院とはどんな邸宅であったか
- 女三の宮と柏木との関係を知った光源氏はどう対処したか?
- 紫式部の住居はどこにあったか?
- 作り物語の『源氏物語』に実在の人物が登場するのはなぜか?
- 紫式部と藤原道長の関係について
- 源氏物語に及ぼした伊勢物語の影響
- 「鈴虫」の巻名の由来は?
- 「侍従」という女房の役割は何か
- 光源氏が一番美人だと認めていた女君は誰か
- 紫式部の墓はどこにあるか
- 「雲隠」の巻は原作にあったのか
- 男君たちの魅力は
- 源氏物語に見える音楽
- 年立ての矛盾
- 各巻のあらすじ(1)桐壺・帚木
- 女君を選ぶとしたら?
- 各巻のあらすじ(2)空蝉・夕顔
- 『源氏物語』の続編(1)―『山路の露』―
- 各巻のあらすじ(3)若紫・末摘花
- 『源氏物語奥入(おくいり)』とは
- 源氏香とは何か
- 平安時代の風呂はどんなものであったか
- 牛車(ぎっしゃ)とは何か
- 貴族の日常生活はどういうものであったか
- 源氏物語にはなぜ大災害が描かれていないのか
- 源氏物語にあらわれた宿世観
- 源氏物語に登場する僧侶
- 『源氏物語』の主役の条件
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