70 年立ての矛盾

『源氏物語の謎』増淵勝一 著 - 国研ウェブ文庫

『源氏物語』の事件を、光源氏の年齢(正編)および源氏死後は、薫の年齢(後編)でついで、年表ふうに記した年紀を、年立てといいます。私たちが長編の『源氏物語』を読むときには、この年立てに導かれて読むことが少なくなく、物語の理解に欠かせないものです。

中世以降本居宣長以前に作られたものを「旧年立て」(河内守源光行一流の『水原抄』からあったといわれますが、主として一条兼良が立案し、同冬良が伝えたもので、北村季吟の『湖月抄』に収められています)と呼びます。

「旧年立て」も非常な労作ですが、たとえば「澪標」巻で元服・受禅する冷泉院は、「若菜下」で譲位しますが、治世十八年の旨の記述があります。しかるに「旧年立て」では十九年目になっています。また玉鬘は「玉鬘」巻で二十歳と明記されていますが、「旧年立て」ではこれが二十二歳となるような矛盾が生じています。

このような「旧年立て」の矛盾を解決しようとしたのが、宣長の『源氏物語年紀考』(のち『源氏物語玉の小櫛』に収める)で、これを「新年立て」といいます。

この「新年立て」は北村久備の『菫(すみれ)草』にも継承されているもので、きわめて合理的にできています。けれどもやはり原作の内蔵する矛盾は解決しがたく、「旧年立て」の持たなかった新しい他の矛盾を作ってしまいました。

たとえば「少女」巻に明石の御方の六条院入りが十月と記され、次の「玉鬘」巻では明石の御方のいる六条院へ玉鬘が入ったのも十月と記されています。「旧年立て」では「玉鬘」の巻を「少女」の巻の次の年とするのですが、「新年立て」では両巻を同年のこととする矛盾が生じているのです。

年立ての矛盾は作者の思い違いや、構想の問題などにも関係するでしょうが、作者が正確無比な年紀を意識せず、大まかな年紀を見すえて物語を書いた結果なのでありましょう。その手法は「なにがしの院」とか「北山」とかいった場所などの具体名はあげず、読者の想像力をかき立てる手法に共通するものがあるように思われます。

作成日:2015年4月25日

『源氏物語の謎』増淵勝一 著 目次

  1. 『源氏物語』はいつ書かれたか
  2. 『源氏物語』はどんな物語か
  3. 『源氏物語』の巻名はだれがつけたものか
  4. 『源氏物語』の時代設定はいつか
  5. 光源氏に愛された女性の中で、一番しあわせだったのはだれか
  6. 『源氏物語』の伝本にはどんなものがあるか
  7. 『源氏物語』の三大滑稽人物とはだれか?
  8. 『源氏物語』という書名ははじめから付けられていたものか?
  9. 『源氏物語』の「もののあはれ」とは何か?
  10. 紫式部の名の由来は?
  11. 光源氏はなぜ義母の藤壺を思慕したのか。
  12. 「桐壺」とは何か
  13. 「雨夜の品定め」とは何か
  14. 「帚木」とは何か
  15. 『源氏物語』の三箇(さんか)の大事(だいじ)とは何か
  16. 紫式部堕獄(だごく)説とは何か
  17. 『源氏物語』は古人にどう評価されたか。
  18. 紫式部はどういう生涯を送ったか
  19. 登場人物の名づけ親は誰か
  20. 源氏物語の文章の「すべらかし」調とは?
  21. 光源氏の「二条院」はどこにあったか
  22. 源氏物語に描かれた結婚形態とは
  23. 「紅葉賀(もみじのが)」とは何か
  24. 源氏物語に近親結婚が多いのはなぜか
  25. 結婚を拒否する女性
  26. 光源氏はどんな容貌・容姿であったか
  27. 源氏物語の遺跡にはどんなものがあるか
  28. 源氏物語の構成はどうなっているか
  29. 乳母(めのと)とは何か
  30. 源氏物語には何首の和歌があるか。
  31. 「総角」巻の巻名の由来は何か。
  32. 光源氏はなぜ須磨に籠居したのか。
  33. 「夢浮橋」の巻名の由来は何か
  34. 光源氏の経済的基盤はどこにあったか(1)
  35. 弘徽殿の大后のモデルは誰か
  36. 桐壺の更衣のモデルは誰か
  37. 紫式部観音化身説とは?
  38. 光源氏の経済的基盤はどこにあったか(2)
  39. 源氏物語』の登場人物は何人ぐらいいるか?
  40. 『源氏物語』に登場する敵役(かたきやく)
  41. 主な女君たちの命日
  42. 平安貴族の住居はどんなものであったか
  43. 宇治の八の宮は二人の姫君を残してなぜ出家を目指すことができたか
  44. 源氏物語が長い間読まれつづけているのはなぜか
  45. 『源氏物語』の最も古い注釈書とは
  46. 「かがやく日の宮」巻とは何か
  47. 「澪標」の巻名の由来は?
  48. 『源氏物語』に描かれた病気
  49. 紫式部の教養
  50. 古注の集大成―『河海抄』
  51. 世界文学史上の『源氏物語』
  52. 紫式部の学問観
  53. 光源氏薨後の夫人たちの生活は?
  54. 物怪(もののけ)とは何か
  55. 「宿木(やどりぎ)」とは?
  56. 女君たちの魅力は?
  57. 六条院とはどんな邸宅であったか
  58. 女三の宮と柏木との関係を知った光源氏はどう対処したか?
  59. 紫式部の住居はどこにあったか?
  60. 作り物語の『源氏物語』に実在の人物が登場するのはなぜか?
  61. 紫式部と藤原道長の関係について
  62. 源氏物語に及ぼした伊勢物語の影響
  63. 「鈴虫」の巻名の由来は?
  64. 「侍従」という女房の役割は何か
  65. 光源氏が一番美人だと認めていた女君は誰か
  66. 紫式部の墓はどこにあるか
  67. 「雲隠」の巻は原作にあったのか
  68. 男君たちの魅力は
  69. 源氏物語に見える音楽
  70. 年立ての矛盾
  71. 各巻のあらすじ(1)桐壺・帚木
  72. 女君を選ぶとしたら?
  73. 各巻のあらすじ(2)空蝉・夕顔
  74. 『源氏物語』の続編(1)―『山路の露』―
  75. 各巻のあらすじ(3)若紫・末摘花
  76. 『源氏物語奥入(おくいり)』とは
  77. 源氏香とは何か
  78. 平安時代の風呂はどんなものであったか
  79. 牛車(ぎっしゃ)とは何か
  80. 貴族の日常生活はどういうものであったか
  81. 源氏物語にはなぜ大災害が描かれていないのか
  82. 源氏物語にあらわれた宿世観
  83. 源氏物語に登場する僧侶
  84. 『源氏物語』の主役の条件

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